バブル景気の原因

一般的に1986年12月から1991年2月までの4年3ヶ月をバブル景気と呼びます。
土地や株が上がり続け、使っても使い切れないほどのお金があふれてくると信じられていた狂乱の時代。

後から振り返れば「そんなことあるわけないでしょ」と一笑に付すような話ですが、当時は多くの人々がその流れに翻弄され、踊らされてしまったのです。
どうして、このようなことが起こったのでしょうか?

前提となる背景

バブルといえば土地は値上がりし続けるという「土地神話」が代表的ですが、この考え方はバブル期に突然表れたわけではありません。
戦後の荒廃から高度経済成長を経て、日本人の多くは土地・不動産を所有することを有利な投資と考えるようになっていました。
事実、土地の価格は一貫して値上がりを続けていたからです。

サラリーマンの多くがマイホームを持つことを人生の目標とし、小さな戸建から大きい戸建へとスゴロクのように育てていく夢を持つようになっていたのです。

狂乱のきっかけ

バブル景気の引き金になったのは1985年のプラザ合意とされています。
これは、貿易赤字に苦しむ米国を救うため、米ドルの価値を下げることにした多国間の合意で、もちろん日本も含まれています。

これにより、1ドル240円近辺だったUSD/JPY相場は、1年で120円程度の円高ドル安へと急落。
日本の輸出企業にしてみれば、今まで24万円で売っていた品物が、いきなり手取り12万円になってしまったのですから、たまったものではありません。

あっという間に円高不況に陥ってしまった国内景気を立て直すため、政府・日銀は対策として公定歩合(政策金利)を下げて、景気回復を図ります。

不動産、株への資金流入

いわゆるゼロ金利に慣れている人には想像がつかないかもしれませんが、1980年に9.0%だった公定歩合が1987年には2.5%まで下がったのですから、当時としては大変な低金利とみなされました。
企業や個人は、お金を借りやすくなったというより、「むしろ借りなければ損である」と考えたのです。

一方、銀行側も金利が下がって利ざやが減った分、貸出量を増やして収益を確保しようとしました。
どんどん借りたい、どんどん貸したいと、ここで双方の思惑が一致したのです。

当然、市中にお金が溢れはじめました。
しかし円高で輸出企業は元気がありませんから、新たに設備投資をして増産しようという状況ではありません。
そこで、ありあまるお金が向かったのは、不動産や株といった投資でした。

何しろ、戦後一貫して「土地は値上がりを続けるもの」と信じられていましたし、株も短期変動はあっても中長期で見れば損することはないという意見が大勢でした。
また、低金利なので定期預金をしても大して利子が付かないというのも大きかったでしょう。
つい先日まで定期預金にしておけば10年で倍になっていたのですから、「こんな金利では貯金する気にならない」という印象を持っても仕方ありません。

不動産投資の過熱

資金の流入は序章にしか過ぎず、狂乱的なバブルはここから一気に膨らみ始めます。

1つの仕組みは、「含み益」と「銀行の追加融資」です。
具体的な例を挙げて説明しましょう。

ある企業が1億円を借りて、1億円相当の土地を買います。
しかし不動産価格は上昇していますから、土地の時価はすぐに2億円になってしまいます。
1億円の借金で2億円の土地を持っているのですから、1億円の含み益があるわけです。

そこで、お金をもっと借りて欲しい銀行は「担保価値が上がって含み益があるので、さらに1億円の追加融資をしますよ」と持ちかけてくるのです。
企業側も労せずして儲けた気になっていますので、これ幸いと1億円の融資を受け取り、また別の土地を買います、値上がりします、追加融資、また買って…と、雪ダルマ式に膨れ上がっていくのです。

もう1つは、このような成功体験談に煽られたり、グングンと上がり続ける不動産や株価を見て、自分も儲けたい、乗り遅れてはならないと思った人や企業が、雪崩をうったように流入してきたことです。
もはや不動産業であるとかマイホームに使うという話ではなく、完全なるマネーゲームと化してしまったのです。
「不動産や株で儲けられない人や経営者は才覚が無い」という暴論がまかり通った時代です。
集団心理であるとか、先を見る目がないと責めるのは酷かもしれません。

「不動産価格の計算上、山手線の内側と、アメリカ合衆国全土を交換できる」という価格にまで上昇し、バブルはピークを迎えます。

※バブルの要因は多々あります。
※上記は1つの側面とお考え下さい。