円相場の歴史(1)

現在、ドル円の為替相場は日々変動していくのが当たり前と思われていますが、かつては固定相場制だったこともありました。
おカネの基本を確認つつ、歴史的なトピックを見ていきましょう。
ポイントを知れば、今後のヒントになるかもしれません。

※本コラムでは、通貨としてのお金を「おカネ」、金属の方は「金」(きん)と表記します

おカネの基本とブレトンウッズ体制

おカネはモノやサービスと交換できる便利なツールですが、いつもおカネとして使っている「お札」という紙が、なぜそんなに価値があるものなのか、説明できる人は少ないかもしれません。
中世まで多く流通していた金貨や小判なら金そのものなので価値があるのは分かりますが、おカネとはいったい何なのでしょう。

もともとのおカネは金や銀の引換証のようなものでした。
しかし金は重くて持ち運びに不便なうえ、ぶつかり合ったりすると磨耗してしまいます。
そこで「金1キロと交換できる券」といった形で、おカネが誕生したのです。

当然のことですが、こんな引換券を発行するには、それの裏付けとなる金を持っているのが大前提です。
基本的に自分が持っている金より多くおカネを発行することはできませんし、おカネの持ち主が「おカネと金を取り替えてくれ」と希望したら、発行元はいつでも交換に応じなければなりません。

戦後、米ドルを中心として組み立てられたブレトンウッズ体制というのは、まさにこれと同じ仕組みです。
35ドル=金1オンスと固定して金との交換を保証し、米ドルを金と同様に使える基軸通貨としました。
また為替レートも固定され、日本円は1949年から22年間にわたって平価1ドル=360円でした。
安定した固定相場の時代です。

ニクソンショック

こういう仕組みの時、あなたが貯めたおカネの束を金塊に取り替えようと引き換え所に持っていったところ、おカネの発行元に「実は金も銀もそんなに持ってないし、もう交換できない」と言われたら───あなたは怒り、同じおカネを持っている世間はパニックになるでしょう。

そして、これを実際に行なったのが米国です。
1971年8月15日、ニクソン大統領は突然こう宣言したのです。

「実は金を持っていないし、レートが維持できないからおカネと金の交換をやめる」と。

そして、1971年12月18日にG10蔵相会議が開かれ(スミソニアン協定)、日本円は1ドル=360円から、1ドル=308円へと、一気に16.88%もの切り上げ(ドルの価値が下がる)を余儀なくされました。
急におカネ(米ドル)と金が交換できなくなったのですから当然です。
しかし、それでもドルの信頼失墜は止まらず、1973年2月に変動相場制へと移行した後は1ドル=260円台まで円高ドル安が進みました。

第一次オイルショック

1973年10月6日、イスラエルと中東アラブ諸国との間に第四次中東戦争が勃発し、中東諸国は原油価格の値上げ、生産量削減、米国などイスラエル支持国への石油禁輸といった対抗策を、相次いで決定しました。

日本は戦争とは関係ない立場だったものの、ニクソンショック後の輸出不振(収入減)に、強力な国内需要(需要増)と輸入エネルギー依存(材料減、高コスト)が重なり、1974年には消費者物価が23%上昇。
「狂乱物価」とも言われたインフレで、戦後初のマイナス成長に陥るほどでした。
日本はインフレ抑制のため高金利政策をとりましたが、インフレによる円の価値下落の方が大きく、為替は1ドル=300円程度の円安になって安定しました。

しかし、オイルショックの動揺が収まり、日本経済が回復していくと、為替相場も急激に円高に動き始め、1978年末頃には一時1ドル=180円を突破して、一時的な円高のピークを迎えました。

第二次オイルショック

1978年末にOPEC(石油輸出国機構)は原油価格の段階的値上げを決定し、1979年にはイラン革命とソ連のアフガニスタン侵攻が発生、更に1980年にはイラン・イラク戦争開始と、中東情勢と原油事情は緊迫していました。

一方で、米国はカーター大統領のもとドル防衛政策をとり、各国と協調してドル高への誘導を図りました。
この恩恵を受けたのは日本で、1ドル=200円~250円の水準で輸出を伸ばすことができ、また第一次オイルショックでの経験を活かして省エネに努めた結果、インフレには見舞われたものの安定した成長を得られました。